四国八十八ヶ所巡り
四国霊場八十八カ所巡礼 (四国霊場別格20ヶ寺巡礼 四国三十六不動巡礼 真言宗十八本山巡礼・京都寺院・奈良寺院参拝等)は、高知よさこいタクシーがご案内いたします。
(初めての四国八十八か所巡礼は霊場先達の資格を有する運転手が丁寧にお参りをごご案内いたします。)
今から1200年前、弘法大師が42歳のときに人々に災難を除くために開いた霊場が四国霊場。後に大師の高弟が大師の足跡を遍歴したのが霊場めぐりの始まりと伝えられています。人間には88の煩悩があり、四国霊場を八十八カ所巡ることによって煩悩が消え、願いがかなうといわれています。徳島阿波(発心の道場1番から23番)、高知土佐(修行の道場24番から39番)、愛媛伊予(菩提の道場40番から65番)、香川讃岐(涅槃の道場66番から88番)に至る1450キロを巡拝する四国遍路は昔も今も人々の人生の苦しみを癒し、生きる喜びと安らぎを与えてくれる祈りの旅なのです。
土佐一国巡り
高知県内の霊場のご案内は、当社にお任せ下さい。
弊社タクシーでの霊場めぐりでは、お客様からご要望がありましたら、運転手がお納経(御朱印)をいたしますのでお参りだけに専念してただけます。
室戸24番札所 最御崎寺(ほつみさきじ)〜宿毛39番札所 延光寺(えんこうじ)を 2泊3日で廻り。
(出発時間にもよりますが、少人数だと1泊2日で廻ることもできます。)
別途必要料金: 宿泊料・高速料金・納経料金(御朱印料金)・各寺駐車場・有料道路料金
徳島県は「発心の道場」といわれています。
普通タクシー | 5,600 円 / 1時間 |
ジャンボタクシー | 6,680 円 / 1時間 |
2泊3日 | 117,600 円~ |
※(普通タクシー・1日7時間貸切料金)
徳島駅(仮) =(25分)⇒ 1.霊山寺 =(5分)⇒ 2.極楽寺 =(8分)⇒ 3.金泉寺 =(10分)⇒ 4.大日寺 =(10分)⇒ 5.地蔵寺 =(10分)⇒ 6.安楽寺 =(5分)⇒ 7.十楽寺 =(45分 )⇒ 8.熊谷寺 =(10分)⇒ 9.法輪寺 =(15分)⇒ 10.切幡寺 =(35分)⇒ 11.藤井寺 =(60分)⇒ 12.焼山寺 =(50分)⇒ 13.大日寺 =(10分)⇒ 14.常楽寺 =(5分)⇒ 15.国分寺 =(10分)⇒ 16.観音寺 =(15分)⇒ 17.井戸寺 =(40分)⇒ 18.恩山寺 =(10分)⇒ 19.立江寺 =(50分)⇒ 20.鶴林寺 =(30分)⇒ 21.太龍寺 =( 30分)⇒ 22.平等寺 =(30分)⇒ 23.薬王寺
第1番 | 竺和山 | 霊山寺 | 天竺(インド)の霊山を日本に移すという意味からこの名がつきました。 境内には多宝塔、泉水池、大師堂があり、仁王門を入ると「縁結び観音」があります。 |
第2番 | 日照山 | 極楽寺 | 仁王門から、美しい庭園が広がります。県指定重要文化財に指定されていいる「マンダラ絵図」もご覧ください。 |
第3番 | 亀光山 | 金泉寺 | 天平年間(729〜749)に金光明寺として建立されました。その後、水不足に悩む住民の声を聞いて弘法大師が井戸を掘り霊水が湧き出でてきました。この時に金泉寺と改称されています。 |
第4番 | 黒厳山 | 大日寺 | 廃寺、再建を繰り返された大日寺。 弘法大師が彫ったと言われる本尊の大日如来は、秘仏となって本堂に祀られていますが、一般には前仏が拝見できます。 |
第5番 | 無尽山 | 地蔵寺 | 境内には本堂、大師堂、不動堂、えびす堂、淡島堂があり、石段を上がると、奥の院となる羅漢堂があります。 春は梅の花、秋は大銀杏が見事です。 |
第6番 | 温泉山 | 安楽寺 | 願い棒修行 大師堂前にある棒を年齢分)握り、願い事・年齢・名前を唱え、般若心経を唱えながら、右周りに、大師の周りを廻ります。正面に来ると棒を置いて、南無大師遍照金剛を7回唱えると、願いが叶うといわれています。 |
第7番 | 光明山 | 十楽寺 | 鐘桜門をぬけると、水子地蔵が70体並んでいます。 本堂の左手に地蔵尊があり、目の病気、盲目霊感があるとの言い伝えがあります。 |
第8番 | 普明山 | 熊谷寺 | 安永3年(1774)建立の、四国地方最大の多重塔があります。 |
第9番 | 正覚山 | 法輪寺 | 四国霊場の中で唯一、本尊が涅槃釈迦如来の法輪寺です。 |
第10番 | 得度山 | 切幡寺 | 山門から本堂までは、330段の急な階段があります。 本尊は2体あり 弘法大師作の千手観音・即身成仏の観音が祀られ、秘仏となっています。 |
第11番 | 金剛山 | 藤井寺 | 仁王門を入ると右手に、弘法大師お手植えの、藤の棚ががあります。身頃は4月〜5月です。 |
第12番 | 摩廬山 | 焼山寺 | 山門を入ると樹齢数百年の巨大な杉の木が見事です。 焼山寺には昔大蛇が住み、幻の火をふき弘法大師が来るのを阻止しようとしました。 弘法大師は、虚空蔵菩薩を感得し、大蛇を岩窟に閉じこめました。 |
第13番 | 大栗山 | 大日寺 | 大日寺より上に入った山手3kmに、奥の院建治寺があります。ボケ封じの寺です。 |
第14番 | 盛寿山 | 常楽寺 | 常楽寺の境内は、流水岩でできています。本堂を覗いても見えませんが、本尊は四国八十八ケ所唯一の弥勒菩薩です。 |
第15番 | 薬王山 | 国分寺 | 納経所左側に、前もって連絡しておけば見学できる、大庭園があります。 |
第16番 | 光耀山 | 観音寺 | 大師堂右側に、子供の夜泣きを止めてくれる夜泣き地蔵があります。 |
第17番 | 瑠璃山 | 井戸寺 | 本堂手前右側に、面影の井戸があり、弘法大師が一夜にして掘った と言い伝えがあります。 井戸の中を覗いて自分の顔が映れば無病息難、映らなかった場合は3年以内に不幸が訪れるといわれています。 |
第18番 | 母養山 | 恩山寺 | お寺へ行く途中右側に、特別天然記念物指定びらん樹の木あります。 |
第19番 | 橋池山 | 立江寺 | 天平19年(西暦747年)に聖武天皇の勅命により、光明皇后のご安産を祈願して建立された立江寺には、今も安産を祈願する人の姿が絶えません。 |
第20番 | 霊鷲山 | 鶴林寺 | 本堂の前には、二羽の白鶴が向かい合っています。この寺で修業中の弘法大師は、黄金の地蔵菩薩が老杉のこずえに降臨し、それを二羽の白鶴が翼をかざして護っているのを発見ました。 |
第21番 | 舎心山 | 太龍寺 | 太龍寺は延暦17年(798年)、桓武天皇(在位781〜806年)の勅命により、阿波国司・藤原文山が伽藍を建立し、弘法大師が刻んだ虚空蔵菩薩を本尊として開基しました |
第22番 | 白水山 | 平等寺 | 弘法大師が厄よけに祈願のために、この地を訪れたとき薬師如来があらわれ井戸を掘ると白水の水が溢れだし、その霊水で身を清めた大師は100日間の修行を行い、薬師如来を彫り、寺の本尊としました。山号は、この井戸水に由来しており、その井戸もいまも本堂の左に残っています。 |
第23番 | 医王山 | 薬王寺 | 仁王門を入ると左手から石段が始まり、33段の女厄坂の途中右手に鐘楼が、石段が終わる絵馬堂を通って42段の男厄坂につながります。上りきったところが、本堂となります。 |
高知の巡礼は移動距離が長いため「修行の道場」と言われています。
普通タクシー | 5,600 円 / 1時間 |
ジャンボタクシー | 6,680 円 / 1時間 |
2泊3日 | 117,600 円~ |
※(普通タクシー・1日7時間貸切料金)
第24番 | 最御崎寺 | 室戸山 | 名勝室戸岬の突端。遍路道近くに弘法大師修行の御蔵堂があります。本尊など重要文化財。東寺ともいいます |
第25番 | 宝珠山 | 津照寺 | 俗に津寺。藩主山内一豊を海賊から救ったので「かじとり地蔵」と呼ばれています。昔から漁業関係者の信仰が厚い寺として有名です。 |
第26番 | 龍頭山 | 金剛頂寺 | 行当岬の頂上にあり、西寺ともいいます。 境内の霊宝殿には密教関係の重要文化財があります。 |
第27番 | 竹林山 | 神峯寺 | 四国霊場の中でも五指に入る難所。土佐の関所と言われましたが、最近は車で近くまでのぼれます。本尊十一面観世音(秘仏) |
第28番 | 法界山 | 大日寺 | 昔は大寺でした。今は小さくなりましたが、重要文化財の大日如来像は高さ147センチで本県随一の巨像です。 |
第29番 | 摩尼山 | 国分寺 | 天平11年(739年)聖武天皇が諸国に建てた国分寺の一つ。 本堂は長宗我部元親が建てました。 |
第30番 | 百々山 | 善楽寺 | 明治元年(1869年)神仏分離令により一時廃寺。本尊は国分寺へ。その後、明治9年に安楽寺に移され、昭和4年に復興。平成6年に土佐一ノ宮善楽寺となり、安楽寺は奥の院となりました。 |
第31番 | 五台山 | 竹林寺 | 本尊の文殊菩薩など19体の仏像と本堂は重要文化財。 本坊裏の庭園も名勝で、土佐の文化財の宝庫と言われています。 |
第32番 | 八葉山 | 禅師峰寺 | 海岸に近い標高100メートルの小高い丘に立つ。 仁王像2体は重要文化財です。 |
第33番 | 高福山 | 雪蹊寺 | 寺名は、長宗我部元親の法号にちなんでつけられました。真言宗から臨済宗に転宗。仏像16体が重要文化財。 |
第34番 | 本尾山 | 種間寺 | 弘法大師が唐から持ち帰った五穀の種をまいたことから、種間寺という名前がついたといわれています。 |
第35番 | 醫王山 | 清瀧寺 | 境内では、台座を含め15メートルものジャンボな薬師如来像が目をひきます。厄除け信者が多い寺です。 |
第36番 | 独鈷山 | 青龍寺 | 横浪スカイライン入り口の大橋を渡り、約2キロの所にあり、本尊は「浪切り不動」と呼ばれ、海上安全の霊場として知られています。 |
第37番 | 藤井山 | 岩本寺 | 昭和53年に新築した本堂天井には、四国をはじめ、秋田、鹿児島などから老若男女が寄進した575枚の絵が張られています。 |
第38番 | 蹉跎山 | 金剛福寺 | 足摺岬先端の自然に囲まれ、古刹の風格十分。景観は八十八ヶ所で一番美しいといわれています。開基弘法大師にまつわる「七不思議」があります。 |
第39番 | 赤亀山 | 延光寺 | 赤亀が銅鐘を背負って現れた伝説があります。その鐘は、高知県でもっとも古い鐘といわれており、重要文化財です。 |
愛媛県は「菩薩の道場」と言われています。
普通タクシー | 5,600 円 / 1時間 |
ジャンボタクシー | 6,680 円 / 1時間 |
2泊3日 | 117,600 円~ |
※(普通タクシー・1日7時間貸切料金)
40.観自在寺発 =(80分)⇒ 41.龍光寺 =(10分)⇒ 42.仏木寺 =(20分)⇒ 43.明石寺 =(80分)⇒ 44.大寶寺 =(20分)⇒ 45.岩屋寺 =(40分)⇒ 46.浄瑠璃寺 =(5分)⇒ 47.八坂寺 =(15分)⇒ 48.西林寺 =(10分)⇒ 49.浄土寺 =(10分)⇒ 50.繁多寺 =(10分)⇒ 51.石手寺 =(40分)⇒ 52.太山寺 =(10分)⇒ 53.円明寺 =(60分)⇒ 54.延命寺 =(15分)⇒ 55.南光坊 =(20分)⇒ 56.泰山寺 =(10分)⇒ 57.栄福寺 =(15分)⇒ 58.仙遊寺 =(20分)⇒ 59.国分寺 =(30分)⇒ 60.横峰寺 =(60分)⇒ 61.香園寺 =(5分)⇒ 62.宝寿寺(香園寺横駐車場内) =(10分)⇒ 63.吉祥寺 =(15分)⇒ 64.前神寺 =(50分)⇒ 65.三角寺
第40番 | 平城山 | 観自在寺 | 平城天皇の勅願所として弘法大師によって開創され、後に平城天皇は落髪し弘仁十二年には弘法大師から潅頂を授けられた。 |
第41番 | 稲荷山 | 龍光寺 | 大同二年二月初午の日、弘法大師がこの地へ巡錫すると、白髪の老翁に導かれた。そこで大師はこの地が霊場であることを悟り、その尊像を刻み、堂宇を建てて安置し、稲荷山龍光寺と号し、四国霊場の総鎮守とされました。 |
第42番 | 一カ山 | 仏木寺 | 大同二年、この地を巡錫していた大師は、牛をひいていた老翁に出会いすすめられるままにこの牛にのった。すると近くの楠の杖に一つの宝珠がかかっているのを発見した。この宝珠は大師が唐におられるとき、有縁の地を選ばれるようにと、三鈷とともに東へ向けて投げた宝珠であった。大師はこの地こそ霊地と直感し、楠で大日如来を刻み、その尊像のマユの間に宝珠を納めて本尊とし、堂宇を建立して一力山仏木寺としました。 |
第43番 | 源光山 | 明石寺 | 欽明天皇の勅願により、円手行者が千手観世音を安置し、七堂伽藍を建立して開創し、後の天平六年(七三四)には寿元行者が、紀州熊野より十二社権現を勧請して十二坊を建立し、修験道場として法灯を伝承した。やがて弘仁十三年(八二二)弘法大師が巡錫し、嵯峨天皇の勅願により荒廃した伽藍を再興して霊場に定められました。 |
第44番 | 菅生山 | 大宝寺 | 大宝寺は大宝元年(七〇一)に、百済の僧がこの地に草庵を結び十一面観世音を安置したのがはじまりで、後に開削当時の年号にちなみ、大宝寺として創建され、やがて弘法大師が霊場に定めました。 |
第45番 | 海岸山 | 岩屋寺 | 弘仁六年、弘法大師がこの地を訪れた時、怪岩奇峰の深山に、不思議な神通力をもった法華仙人と称する女がいた。この女は大師に帰依し、一山を献じて大往生をとげた。 そこで大師は不動明王の木像と石像の二体を刻まれ、木像は本堂へ、石像は山に封じこめ、山そのものをご本尊不動明王として護摩修法された。そして寺号を海岸山岩屋寺と名づけた。 |
第46番 | 医王山 | 浄瑠璃寺 | 寺の創建は和銅元年(七〇八)。薬師如来の別名瑠璃光如来から寺号を浄瑠璃寺と名付けた。 |
第47番 | 熊野山 | 八坂寺 | 歴史は古く、大和時代から約千三百年余りも続く古刹であり、お大師さまがお生まれになられる、百数十年ほど前に修験道の開祖、役の行者小角(神変大菩薩)によって開かれました。 |
第48番 | 清滝山 | 西林寺 | 本堂は、元禄十四年(一七〇一)の再建。縁起によれば聖武天皇の勅願によって天平十三年(七四一)行基菩薩が徳威の里に堂宇を建立し、一宮別当寺として開創した。大同二年(八〇七)には弘法大師は現在地に寺を移し、十一面観世音菩薩を刻んで本尊として安置しました。 |
第49番 | 西林山 | 浄土寺 | 本尊の十一面観音菩薩は秘仏のため誰も直接拝めず住職さんもお顔を拝んだことがないといわれています。 |
第50番 | 東山 | 繁多寺 | 空也谷から八幡神社を経て、なだらかな坂を登ると、右手淡路山の中腹に山門がみえてくる。門を入れば正面に本堂、右に大師堂、左に聖天堂、庫裡がある。ご本尊は薬師如来。寺の開基である行基菩薩の作で孝謙天皇の勅願所であった。 |
第51番 | 熊野山 | 石手寺 | 道後湯築城主河野息利の妻が男児を生んどがその子は生後三年たっても左の手がひらかず、安養寺の住職が祈祷したら手をひらき、「衛門三郎再来」の小石がころげ落ちた。この子こそ天長八年十月、十二番焼山寺の山中で亡くなった衛門三郎の生まれかわりなのである。 |
第52番 | 瀧雲山 | 太山寺 | 正面に嘉元三年(一三〇五)再建の本堂(国宝)がある。用命天皇の二年、豊後の国の真野という長者が、大阪へ向かう途中、高浜沖で難破しようとした。ところが信仰していた十一面観世音に救われたので、報恩のため一寺を創建し、その尊像を安置した。後に聖武天皇をはじめとする歴代天皇の勅願で十一面観音像を奉安している七躰が重要文化財。 |
第53番 | 須賀山 | 円明寺 | 天平勝宝元年(七四九)聖武天皇の勅願により、和気西山の海岸に創建され、寛永十年(一六三三)現在地に再興された。 |
第54番 | 近見山 | 延命寺 | 寺の創建は行基菩薩が不動明王を刻んで本尊として安置したのにはじまり、後に嵯峨天皇の勅願によって弘法大師が再興し、近見山円明寺と号した。 |
第55番 | 別宮山 | 南光坊 | 大宝三年(七〇三)この神社の別宮を越智郡日吉郷に移し、二十四坊あった別当のうち八坊を和銅五年(七一二)との二回にわたって同地へ移した。弘法大師は四国巡錫のとき、別宮に参拝し、坊で法楽をあげて霊地とした。 |
第56番 | 金輪山 | 泰山寺 | 満願の日にご本尊地蔵菩薩を感得し、祈願成就したので一寺を建立してご本尊を安置し、延命地蔵十大願の第一「女人泰産」から寺名をとられ「泰山寺」とした。 |
第57番 | 府頭山 | 栄福寺 | 嵯峨大皇の勅願により弘法大師の開創。大師が瀬戸内海を巡錫し、内海の風波海難の平穏を祈って大護摩を修されていると、海上はたちまち穏やかになり、海中より阿弥陀如来を感得し、ご本尊として奉安した。本堂は八幡宮への参道を背にし、他の堂より一段高い所にある。本堂向かって右手に回廊があり、大師堂、薬師堂など諸堂がコの字型に結んでいる。 |
第58番 | 作礼山 | 仙遊寺 | 天智天皇(662〜672)の勅願より創建された。本尊は千手観音。海から上がった竜女が一刀三礼して彫り上げたといわれ、作礼山の名の由来にもなっています。 |
第59番 | 金光山 | 国分寺 | 天平十三年(七四一)聖武天皇の勅願によって行基菩薩が開創し、七堂伽藍は整備されて諸国の国分)寺にくらべ豪壮なかまえであった。第三世智法律師のときに弘法大師が長く留まって五大尊の絵像一幅を残し、真如も二ヵ年滞留し、法華経の一部を染筆して残した。 |
第60番 | 石鉄山 | 横峰寺 | 弘法大師はこの地で星供を修され、石鎚山へ二十一日間日参された。結願の日再度蔵王権現が示現したので大師は当山を霊山と思われ、大日如来を刻み本尊とし、霊場に定めた。 |
第61番 | 栴檀山 | 香園寺 | 用明天皇の病気平癒を祈って聖徳太子が創建し、このとき金衣白髪の老翁が飛来してご本尊を安置したという。天平年間には行基菩薩も留錫し、大同年間になると弘法大師が巡錫された。あるときこの地で身重な女が苦しんでいたが、 |
第62番 | 天養山 | 宝寿寺 | 聖武天皇の勅願により伊予一宮の法楽所として中山川下流の白坪に建立された。 |
第63番 | 密教山 | 吉祥寺 | 万治二年(一六五九)末寺の檜木寺と合伴して現在地に建立された。 |
第64番 | 石鉄山 | 前神寺 | 桓武天皇が病気平癒を祈願し成就したので七堂伽藍を建立し金色院前神寺とした。 |
第65番 | 由霊山 | 三角寺 | 聖武天皇の勅願によって行基菩薩が開基し、弘法大師が登山されてご本尊十一面観世音菩薩を刻まれ、さらに不動明王を彫刻し、三角形の護摩壇を築き、二十一日の間降伏の秘法を修された。 |
香川県は「涅槃の道場」と言われています。
普通タクシー | 5,600 円 / 1時間 |
ジャンボタクシー | 6,680 円 / 1時間 |
2泊3日 | 117,600 円~ |
※(普通タクシー・1日7時間貸切料金)
雲辺寺(ロープウェイ) =(20分)⇒ 67.大興寺 =(20分)⇒ 68.神恵院 ⇒ 69.観音寺 =(15分)⇒ 70.本山寺 =(30分)⇒ 71.剣弥谷寺 =(20分)⇒ 72.曼荼羅寺 =(5分)⇒ 73.出釈迦寺 =(15分)⇒ 74.甲山寺 =(5分)⇒ 75.善通寺 =(15分)⇒ 76.金倉寺 =(20分)⇒ 77.道隆寺 =(30分)⇒ 78.郷照寺 =(30分)⇒ 79.天皇寺 =(20分)⇒ 80.国分寺 =(40分)⇒ 81.白峯寺 =(20分)⇒ 82.根香寺 =(40分)⇒ 83.一宮寺 =(40分)⇒ 84.屋島寺 =(20分)⇒ 85.八栗寺 =(20分)⇒ 86.志度寺 =(20分)⇒ 87.長尾寺 =(30分)⇒ 88.大窪寺
第66番 | 巨鼇山 | 雲辺寺 | 大師が十六歳のとき、寺の建築材を求めて登山したところ、深遠な霊山のおもむきに心うたれて堂宇を建立したのがこの寺のはじまりで、大同二年(八〇七)嵯峨天皇の勅を奉じてふたたび登山し、ご本尊を彫刻して仏舎利と毘盧遮那法印(仏法石)を山中に納め、霊場に定めました。 |
第67番 | 小松尾山 | 大興寺 | 弘仁十三年(八二二)嵯峨天皇の勅命で弘法大師が熊野三所権現鏡護の霊場として開創し、ご本尊の薬師如来を彫刻して安置された。後に真言、天台の二宗によって管理され、真言が二十四坊、天台は十二坊あって本堂の左右に真言、天台の大師堂がありました。現存の建物は慶長年間に再建されたものです。 |
第68番 | 琴弾山 | 神恵院 | 養老六年(七二二)には行基菩薩が巡錫し、後に弘法大師もこの地に巡錫して阿弥陀如来の尊像を描いて本尊とし六十八番の霊場に定め、寺号を琴弾山神恵院と名づけました。 |
第69番 | 七宝山 | 観音寺 | 大師は神恵院を霊場に定めた時、神功皇后は観世音の生まれかわりとして聖観世音菩薩の尊像を刻まれ、山の中腹に七宝山観音寺を創建して尊像を安置し、八幡宮の別当寺として六十九番の霊場に定めました。 |
第70番 | 七宝山 | 本山寺 | 同四年に弘法大師が建立し、天暦二年(九四八)に修理したが、その後上の四層が破損したため下の一重のみを修理し塔堂として残っている。本堂は大同二年(八〇七)平城天皇の勅願により弘法大師が一夜のうちに建立したと伝えられる。 |
第71番 | 剣五山 | 弥谷寺 | 寺は行基菩薩の開創。聖武天皇が堂塔を建立し、後に、弘法大師が七歳のときこの山で苦行し、大同二年(八〇七)再び登山して真言密教の秘法を修されている時、五柄の剣を得るとともに蔵王権現のおつげがあり、これにもとずき大師は千手観世音を刻み本尊とした。 |
第72番 | 我拝師山 | 曼荼羅寺 | 寺は弘法大師の先祖である佐伯家の氏寺として推古四年(五九六)創建され、世坂寺と称していたが、弘法大師が留学後、ご本尊の大日如来を勧請し、大同二年、金胎曼荼羅を安置し、唐の青龍寺に模して堂塔を建立し、寺号も我拝師山曼荼羅寺と改めた。 |
第73番 | 我拝師山 求聞持院 | 出釈迦寺 | 曼荼羅寺からだらだら坂を五百㍍あまり登ったところに出釈迦寺がある。寺の境内には我拝師山々頂の捨身ヶ嶽の遥拝所があり、ここからは捨身ヶ嶽禅定の建物が仰がれる。 |
第74番 | 医王山 | 甲山寺 | 弘法大師は幼いころこの附近で遊ばれた。土の仏像や草木の小堂をつくったり、石を重ねて塔にしたり、愛犬をつれて歩かれたりした。近くの仙遊ヶ原地蔵堂は大師のそうした遊び場であったという。 |
第75番 | 屏風浦 五岳山 | 総本山 善通寺 | 大師は唐より帰朝後、大同二年(八〇七)真言宗弘通の勅許を得て、先祖の氏寺の建立を発願した。父の善通卿は自身の荘田を提供され、六年の歳月をかけて七堂伽藍を完成させた |
第76番 | 鶏足山 | 金倉寺 | 金倉寺は智証大師の祖父和気道麿によって宝亀五年(七七四)開創され、道善寺と称していた。智証大師は唐より帰国後しばらく留まり、先祖の菩提にと唐の青龍寺を模して伽藍を造営し、後に勅願寺となり、延長六年(九二八)醍醐天皇が金倉の郷にあるので金倉寺に改称した。 |
第77番 | 桑多山 | 道隆寺 | 西暦七一二年、この辺りは大桑園であった。中で夜毎怪光を放つ最大の桑の木があり、道隆親王その桑で薬師如来の小象を刻み、草堂を建て安置し、廻向の日々を送る。これが道隆寺の始まりである。 |
第78番 | 仏光山 | 郷照寺 | 宇多津の町へ入ると右手青野山の麓に郷照寺がある。霊亀年間(七一五〜一七)行基菩薩によって開創され、仏光山道場寺と名づけられ、ご本尊の阿弥陀如来は行基菩薩の作という。後に弘法大師が留錫して荒廃した伽藍を改築し霊場に定めた。 |
第79番 | 金華山 | 天皇寺 | 長寛二年(一一六四)この寺におられた崇徳天皇が歌会へ出席の途中亡くなられ、二十一日聞八十八の泉に仮安置され、やがて白峰山で茶毘にされた。それからは天皇寺ともいわれ、崇徳天皇をまつる白峰宮の別当に任じられた。 |
第80番 | 白牛山 | 国分寺 | 天平十三年(七四一)聖武天皇の勅願によって行基菩薩が開基しご本尊を刻まれた。後に弘法大師が留錫して尊像を補修され、霊場に定められました。 |
第81番 | 綾松山 | 白峯寺 | 白峯は俗塵から離れた静寂な霊域で五色台(青、赤、白、黒、黄峰)の西にあり、崇徳天皇の御陵があることで知られている。参道途中には弘安と元享の銘の刻まれた崇徳天皇の二基の供養石塔があります。 |
第82番 | 青峰山 | 根香寺 | 智証大師が伽藍を建立後盛んになり、後白河天皇の勅願所にもなった。現存本堂への廻郎には戦後の勧進による万体観音像が奉安されています。 |
第83番 | 神豪山 | 一宮寺 | 本堂右に大師堂と庫裡・納経所があり、左に宝治元年(一二四七)建立の三基の石の宝塔がある。一宮御陵とよばれ、孝霊天皇百襲姫・五十狭芹彦命のものといわれています。 |
第84番 | 南面山 | 屋島寺 | 弘仁六年(八一五)には弘法大師が登山し、勅命によって一夜のうちに本堂を建立し、自刻の十一面千手千眼観世音を本尊として安置した。 |
第85番 | 五剣山 | 八栗寺 | 弘法大師は幼少のころよりこの山に登り、土で仏像などをつくられたが、後に求聞持の法を修されているとき五柄の利剣が虚空より降ってきたので五剣山と名づけ、山項からは八ヵ国が見えるので八国寺としました。 |
第86番 | 補陀洛山 | 志度寺 | 寺伝によれば推古天皇の三十三年に志度の浦に楠の霊木が漂着し、園子尼がこの霊木で観世音の尊像を刻みたいと念じたのがそのはじまりという。 |
第87番 | 補陀洛山 | 長尾寺 | 天平十年(七三八)行基菩薩が巡錫の折、道端にある楊柳をもって聖観世音を刻み、小堂を建てて尊像を安置したのが寺のはじまりという。弘法大師は入唐するにあたりご本尊に祈願し、護摩修法された。 |
第88番 | 医王山 | 大窪寺 | 寺伝によれば元正天皇のころ、行基菩薩がこの地に留錫し、弘法大師が唐から帰国してより、現在の奥ノ院の岩窟で求聞持の法を修し、大きな窪のかたわらに堂宇を建立して自刻の薬師如来を安置した。これが大窪寺のはじまりです。打ち終えた遍路は大師堂で感謝の勤行をすませ、決まり事ではありませんが、杖・菅笠を納めてゆく人がいます。 |
当社に御意見等がございましたら、下記フォーム又は電話、メールより遠慮なくお問い合わせ下さい。